寝屋川小学校殺傷事件考察

また大阪か。僕は真っ先にそう思った。
何年前の事件だったか、大阪教育大学池田小学校でも今回の事件と性質の似た殺人事件があった。
今まで自分の傍で生きていていた人が、次の日から居なくなってしまう。
このような体験は、小学生にとって大変精神的に深い傷を伴うものであり、そのショックを与えた犯人を許すわけにはいかない。
今回の事件の犯人は17歳の少年であった。
その少年は中学校時代、家にひきこもってテレビゲームに没頭する毎日を送り、遂には朝に起床することが出来なくなり不登校になっていたと言う。
少年は、小学校の頃からゲーム好きで、将来の夢はゲームクリエーターだと文集に書いたほどだ。
近所の人の評判は、おとなしい性格の子で成績も非常に優秀であったとのことだ。
少年による殺人事件で近所の人の犯人の評判を聞くと、必ずと言って良い程「おとなしい性格」「成績優秀」等の良いイメージのキーワードが挙がる。
いつ人を殺してもおかしくないような不良が、殺人事件を起こすケースは極めて少ない。
日常生活での様々な大人や同級生に対する恨みや憎しみ、これが外面的に出たのが不良やチンピラであり、これが精神的内面にこもってしまうとこのような結果を生んでしまう子供が出来あがってしまうのだと思う。
ここで、大体の大人達はゲームとこの事件とを結びつけて考えるだろう。
近年、ゲームをやりすぎると「ゲーム脳」になりキレやすい人間が構成されると、どこかの学者が発表し話題になっていたからであろう。
ただ、僕はそうは思わない。ゲームに責任転嫁するのは間違っている。
確かに、ゲームのやり過ぎがのようなことを引き起こす要因となったかもしれない。
しかし、その前に考えて欲しい。
一日中ゲームをやらせておいて、ついには引きこもり状態、そして不登校
こんな事になるまで息子をほったらかしにして置いた、親の教育に最大の責任があるのではないか。
不登校になるまでゲームをやらせ続けるなど、明らかに異常である。
しっかり教育の行き届いた家庭であれば、この事件は起こっていなかった。
異常に厳しい教育も問題であるが、その逆もまた否である。
まだ捜査は始まったばかりで、進展が無い状態だが、この事件を引き起こした原因のひとつに過度の甘やかし教育があることは間違いないであろう。
そして、今日の朝フジテレビよる犯人の「実名報道」があった。

朝日
http://www.asahi.com/national/update/0215/014.html
毎日
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20050215k0000e040081000c.html
共同
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=FLASH
読売
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20050215ic07.htm

これは故意的なものではなく、文集を放映する際に名前の部分を黒く映像処理して見えなくする予定だったが、処理が不十分だったため、画像処理ソフトによって簡単に名前の部分が見えるようになってしまっていたのだ。
この騒動が起こる以前に探偵ファイルで卒業アルバムから、犯人が中学生の時の顔写真が公開されていた。
それと共に、イニシャルが載っていたのだが今回の報道で本名まで判明しまったのだ。
このことも探偵ファイルにまとめられている。
これは少年法に反することであるが、17歳というのは十分に物事の是非の判断が付く年齢だと思う。
私も今年で17歳になるのだが、そう考えている。
義務教育である中学校を出てしまえば、もう立派な大人であり少年法によるプライバシーの保護など必要ない。
そして、極刑を与えることも考えて良いと思う。
少年事件が起こるたびに少年法について討論されるが、そろそろ国も動いてはいいころではないだろうか。
人を殺した人間が数年たって平気な顔をして、この世の中に舞い戻ってくることを考えると寒気がする。
死んだ人がゲームのようにリセットで生き返ることが無い様に、犯人の人生もリセットは利かないのだ。
社会復帰など寝ぼけた事はあってはならない。